こんばんは。
みなさまお元気にお過ごしですか??

今年はブログ、2023年の年明けから更新していなかったですね・・
こんなに更新しないのも初?かも。

スケジュール的にタイトだった事もありますが、落ち着いたあたりで、旅に行っても、なんとなく更新する気にはならずだったのは、祖母の事を書いておきたいなぁと思っていたのと、なんとなく更新する気分にはならなかったので、ようやく想うまま、今日つらつら書いてみました。

大切な思い出として✦

私は、子供を産んで母になってから「かけがえのない大切な人を大切にしそびれないようにしたい」強くそう想ってきました。
だから、取捨選択や、覚悟を決める事も、基準は全部子供がいちばん。子供はもちろん、ほかには祖父と祖母が私にとって大切な存在だったと思います。

祖父は7年前に他界していますが、祖母はわりと順調にきていたものの、去年の年末頃から介護度や認知も進んで自宅でお世話ができないから施設に入れると母から頻繁に連絡が入っていました。

東京-新潟間は、新幹線でたった2時間の距離とはいえ、毎日の行き来はとても出来ないし、私には仕事もあるので施設でお看取りしかないかな…といっときは思いましたが、それで心残りにならないのか、流石にしばらくの間考えました。

子育て中、1番大事な子供を大切にしそびれないように生きたい一心で、どんなに無理でも無茶でも凄まじい気概でやってきたはず。

その想いから、考えられないくらいのチカラや勇気が出たはず。

例え周りから経営者としてどんなにマイナス評価されようが、どうみられようが、そんなどうでもいい事に囚われず、自分からブレずに家庭第一で過ごしてきたはず。

そんな子育て時代の事を思い出したら、おばあちゃんとの最期の時間を一緒に過ごせるように、在宅医療でお看取りする決心がつき、昨年12月末〜今年5月末位までの間は新潟に居る時間をかなり増やしていました。食事がとれなくなってからは、毎日点滴で痰がからむので病院で喀痰吸引や口腔ケアを習って介護をしながら仕事をして、横浜に戻ってを繰り返したり。
実家の辺りは便利な地域ではないので、なかなかハードな毎日でしたが、子育て+サッカー+dragee時代は、次々とハードシングスがあり、睡眠もリビングで仮眠程度だった事を思い出すとあれよりハードな事はないと思えたと同時に「やっぱり1番大切な人を最優先にする事を諦めなくてよかった」と明らかに思えました。

そんなこんなで最期の時を充分一緒に過ごせて、実は5月に祖母はとうとう天国に旅立ってしまいましたが、家族が見守るなか旅立つ事が出来てよかったと思っています。

最期のお別れの棺には、おばあちゃんの鏡台にずっと飾っていたbutterflyも手紙と一緒に入れて、大好きな甘いものも沢山入れてお見送りしました。

お別れしてすぐにブログを書く気分にもなれませんでしたが、ようやく思い出として今書いています。
ずっと今も、私の意思決定は「ただ1人の女性としてどうありたいか?」が基準。
この先も自分の基盤からブレず、おばあちゃんみたいに強くて優しい愛の人で在りたいなと思います。

思い出がたくさんあるのでMovieに✦

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